院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


むくどりの夢 (浜田廣介著)

 

小学生の頃、家庭はけして裕福ではありませんでしたが、不思議と本はたくさんありました。ややグレーがかった青色の子供童話全集は私のお気に入りで、表紙の模様や、目次の挿絵などが懐かしく思い出されます。その中に、浜田廣介の「むくどりのゆめ」がありました。小学校三年か四年の頃、私はその「むくどりのゆめ」についての感想文を書きました。記憶は定かでありませんが、何かの賞をもらったようです。「むくどりのゆめ」にまつわる、せつなくも、少し誇らしげな感傷はそのせいかもしれません。

ひろい野原のまんなかに、たいそうふるいクリの木がたっていました。

その冒頭の一行で、私は無垢な少年の心を取り戻します。父さん鳥と椋鳥の子は、ススキの穂で満たされたぬくぬくと暖かい巣で、深まる秋に身を寄せ合います。母さん鳥は死んでしまってこの世にはいません。でも椋鳥の子はそのことを知らず、遠いところへ出かけたと聞かされていました。ある夜、カサコソ、カサコソと羽の擦れ合う音がします。

「おとうさん、おかあさんがかえってきたよ。」

父さん鳥はあわてたように目を開けますが、すぐに気がついて

「いやいや、ちがう。風の音だよ。」と言って目を閉じます。寝付けない椋鳥の子は、そっと巣を抜け出して、入り口まで出てみると、冷たい風が、一枚の黄色い枯葉を吹いて、音を立てているのでした。一枚だけ残った枯葉は、次の夜も、カサコソと音を立てます。やはり、椋鳥の子には母さん鳥の羽音のように聞こえます。母さん鳥がささやくようにも聞こえるのです。聞いているうちにただ慕わしくなってきます。

「なんだって、ああいう音をたてるのだろう。」

椋鳥の子は不思議でたまりません。次の日、椋烏の子は巣にあった長い馬の尻尾の毛で、その枯葉が飛ばないように、しっかりと枝にくくりつけます。目を閉じてその話を聞いていた父さん鳥は、目をあけて、子どもの鳥を見回しました。首をまげまげ目をむけて、つくづくと見回しました。その夜、椋鳥の子は夢を見ます。どこからか、体の白い一羽の鳥が飛んできて、巣に入ってきました。

「ああ、おかあさん。」

けれども白いその鳥はなにも言わず、やさしい二つの目で、こどもの鳥を眺めます。父さん鳥とそっくりな眼差しでした。椋鳥の子は白い体に取りすがろうとしたところで、目が覚めます。翌朝、一枚の枯葉にうすい粉雪がこなのようにかかっているのを見て、椋鳥の子は、タベの夢にきた鳥はこの白い葉であったのかも知れないと思い、羽でたたいて雪を落としてやるのです。

少年の私は、母を想う椋鳥の子のけなげな姿に共感を覚え、最後の一葉を枝にくくりつけたいじらしい姿、雪を羽で落としてやる優しさに心打たれたのでしょうか?当時の感想文は失われ、想像の域を出ません。しかし、いま読み返してみると、「むくどりのゆめ」は、まるで始めて読む物語のように新鮮な感動を与えてくれます。この愛すべき童話は、父さん鳥の視点で物語が展開していきます。子供を悲しませないために、あるいは自分の悲しみを紛らわせるために、

「母さん鳥は、遠くに出かけているんだよ。」と言った嘘。

「いまごろは、海のうえをとんでいるの」、「もう、いまごろは、山をこえたの

その質問に答える時の父さん鳥の気持ちを考えると、胸が締め付けられます。いま自分にできることは、ぬくぬくと暖かい巣の中で子どもに寄り添ってあげること。でも父さん鳥は知っているのです。母さん鳥はもうこの世にはいないという現実へ踏み出す時はそう遠くないことを。そんな折、カサコソという音を聞いて、お母さんが帰ってきたと子どもが言います。その音は父さん烏にもなつかしい羽音に聞こえたのでした。でも、すぐに風が葉をゆらす音だと気づきます。その時の驚きと落胆。父と子で守ってきた暖かい巣とそれを包み込むようにして広がる冷たい現実。そしてそれを優しくつなぐ一枝の枯葉。椋鳥の子がそのカサコソという音を慕わしく聞いているとき、父さん鳥も同じような気持ちで聞いていたのでしょう。そんな、懐い一枚の葉を、椋鳥の子が自らの考えで、枝にしっかりとくくりつけたのを見て、少しうれしく、頼もしく思えたかもしれません。椋鳥の子の小さな羽根で粉雪を払ってもらった一枚の枯葉は、今日もそして明日も、カサコソと優しい音を立てるのでしょう。でもそれは、現実を慰めるささやきではなく、親離れ子離れの時、巣立ちの日に向けた、母さん鳥の応援歌なのです。

ひろい野原のまんなかに、たいそうふるいクリの木がたっていました。

 

その冒頭の一行で、私は無垢な少年の心を取り戻します。そして、その純真な心に支えられて今を生きる自分自身の幸せに気づくのです。


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